スクール紹介

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代表挨拶

世界に通用する選手を

契約写真RCDエスパニョールCEO ラモン・ロベルト氏と代表の坂口

この度、RCDエスパニョールジャパンアカデミーを開校することができ、非常に嬉しく思っています。9月から埼玉県各地で第1校目が開校いたします。

私が6年前に初めてスペインのバルセロナに現地サッカーの取り組み、指導方法、育成メソッドなどを勉強しに行き、RCDエスパニョールの育成年代において、世界のトップレベルの環境や取り組み、トレーニングの内容など、実際に見て、日本が遅れていることともに、素晴らしいと感じました。RCDエスパニョールのカンテラの育成を見た指導者の皆さんの感想は、日本サッカーへの危機感を覚えます。そのぐらい素晴らしいトレーニングや考え方がRCDエスパニョールにはあるのです。そのRCDエスパニョールの育成年代においての哲学や考え方をもとに、日本で同様な取り組みをしたらどうなるのか、また、日本の子供たちも世界で活躍できるのではないかと思い、アカデミー設立をいたしました。 日本が世界に追いつくことは今のままでは絶対にないと思っています。誰かの情報やインターネットの情報では、日本がどれだけ世界に離されているのかは、一生わかりません。だからRCDエスパニョールの育成を日本に取り入れ、トレーニングを実践して世界に通用する選手を育成したいとRCDエスパニョールジャパンアカデミーでは考えています。

かつて中村俊輔選手が所属していたことで知られるエスパニョール。同じ街にあるFCバルセロナに比べると、トップチームの成績は優れたものではありません。しかし、育成になると話は変わります。
毎年、バルセロナ18歳以下(フベニールA)で行われるリーグ戦において優勝を飾ったのは、育成の代名詞FCバルセロナではなく、このRCDエスパニョールです。他を寄せ付けない圧倒的な強さで頂点に立ちました。是非、日本で体感をしてください。みんな参加をお待ちしております。よろしくお願いします。

また、応援してくれるスポンサー様、RCDエスパニョール開校したいパートナー様、また、RCDエスパニョールアカデミーに興味ある方も募集しています。


RCDエスパニョールジャパンアカデミー
代表 坂口 照幸

歴史

1900年10月28日にバルセロナ大学工学部の学生を中心として設立。初期にはサグラダ・ファミリア近くの広場でプレーし、ソシエダ・エスパニョーラ (Sociedad Española de Footbal) と名乗っていたが一年後にクルブ・エスパニョール (Club Español de Fútbol) に名称を変更。外国籍選手を多く起用していた当時のスペインにおける多くのクラブとは異なり、選手はスペイン人のみに限定していた。1910年にクラブ名をクルブ・デポルティウに変更すると共にユニフォームも現在まで続く青地に白のストライプが入ったデザインとなった。 1912年にはアルフォンソ13世より「レアル」の名の利用が許されレアル・クルブ・デポルティーボ・エスパニョール (Real Club Deportivo Español de Barcelona) と呼ばれるようになった。1930年代の第二共和制下では、王室色を廃してカタルーニャ語を使用したクルブ・エスポルティウ・エスパニョール (Club Esportiu Espanyol) と称していた。1995年にはクラブ名をカタルーニャ語表記 (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona) に改めている。ただし、「Deportiu」という表記はスペイン語の「Deportivo」の語尾だけをカタルーニャ語風にしたものであって、単語としては正しくない(カタルーニャ語では「Esportiu」)。略称の「RCD」を変化させずにカタルーニャ語表記にするための苦肉の策である。 同じくバルセロナ県を本拠地とするFCバルセロナとの試合はバルセロナ・ダービーとして盛り上がりを見せる。カタルーニャ民族主義に基づき伝統的に反マドリードの意識が強いカタルーニャにあって王立を意味する「レアル」を冠しているために地元での人気はFCバルセロナに押されがちである。